14世紀頃からボスニア王国の首都として繁栄し、オスマン帝国やオーストリア・ハンガリー帝国、ユーゴスラビアの統治を経験しながら現在ボスニア・ヘルツェゴビナのボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(クロアチア人とボシュニャク人が主に居住)側に位置するヤイツェ Jajce。
プリヴァ Pliva 川とヴルバス Vrbas 川の合流地点にあり、街の麓に広がるヤイツェの滝(プリヴァの滝)が大変に美しい街として知られています。
今回はそんな街を実際に訪れてみたので、なかなか日本からは訪れる人の少ないヤイツェの街並みの様子を紹介します。
1. ヤイツェに到着
ヤイツェはサラエヴォから北西に約150km。自家用車では約2時間半程度の距離で日帰り観光も可能な場所になっています。
ですが、インフラが未熟なボスニア・ヘルツェゴビナでは、バスで約4時間〜5時間程度かかり、またバスの本数も1日に3−5本、突然の運休や長時間の遅延も頻発と日帰りでの計画はかなりリスク。
ということで今回はサラエヴォから1泊の予定で余裕を持って訪れることにしました。
バスターミナルは非常に小さくはありますが旧ユーゴスラビアの国旗を模した看板付き。
一方、その姿から老朽化は顕著。ボスニア紛争以降ヤイツェ経済はかなり厳しいようで、ヤイツェ滞在中も時代が当時のまま止まってしまっているところを色々と目にしました。
アクセス方法についてはこちらの記事で別に紹介しています。
2. 美しいプリヴァの滝
ヤイツェで最も有名な観光名所といえば、プリヴァの滝。
実際にバスターミナルからほんの数10メートル歩くだけで、その滝が姿を現します。
滝の加工部分はスウェーデンをはじめとする第3国の支援により観光整備されており、わずかな入場料を払うことでアクセス可能。
訪れた日は雨が時折降る天気だったこともあり、水量がかなり多くとても迫力のあるものでした。
河口部分に近づくとわずか数秒で頭はずぶ濡れ。写真を撮ろうにもすぐにレンズが水しぶきに覆われるためなかなか難しく断念。
この滝やプリヴァ川の周辺はシティパークとして整備されており、こちらは誰でも自由にアクセス可能。
とても緑が多く綺麗な公園で、ここからはプリヴァの滝へと注ぎ込む川の流れを間近で見ることができます。
よくヤイツェの典型的なイメージ写真に、プリヴァの滝、街、そしてヤイツェ要塞が1つのフレームにおさまっているものがありますが、実はあの写真そう簡単には撮れません。
プリヴァの滝周辺には展望プラットフォームがいくつか整備されてますが、そこからだと要塞が木に隠れて見えなかったり、滝に近すぎて上まで見えなかったり。
ですがこの写真を撮るために私たちは諦めませんでした。街から離れ、この川にかかる大橋を渡り、交通量も多くさらに歩道がない国道をひたすら歩き、そしてそこから山道へ。
ヤイツェ中心部から約20−30分ほど歩き、なんとかこの絶景スポットを探し出しました。
結構危険が伴いそうな雰囲気(特に道路状況)だったので、あまりお勧めはできませんが一応行くことは可能です。
街の麓に位置し、山の頂上にあるヤイツェ要塞、中腹に広がる街、そしてプリヴァの滝と街が3段構成になっている絵はまさにフォトジェニックです。
3. ヤイツェ中心部
ヤイツェの中心にあるのがエスマ・スルタナモスク。その周辺には小さな広場が広がり、ピザレストランやバーなどが軒を連ねるまさに中心という雰囲気。
前書きに書いた通りクロアチア人とボシャニャク人が多く住むボスニア・ヘルツェゴビナ連邦に属しますが、1995年の紛争末期にクロアチア側の軍事組織「クロアチア防衛評議会」がセルビア人組織から奪還した街ということもあり、今でもクロアチアの旗も掲げられています。
ボスニア・ヘルツェゴビナではどこへ言っても必ずと言っていいほど、ボスニアヘルツェゴビナ国旗の他にクロアチア国旗やセルビア国旗、トルコ国旗が揚げられており、未だに民族問題が根深いことを感じざるを得ません。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは野良犬が至る所で見られ、ヤイツェもその例外ではありません。
とはいっても、とてもおとなしく日本でいう野良猫と同じような感じ。ヤイツェの野良犬の多くは餌が与えられており、また耳にコードがつけられ管理されていたりと観光客が不安になるような存在ではありません。
このモスクはヤイツェ最大のモスクで、1753年に完成。その後ボスニア紛争中に完全に破壊されたものの2010年に復興しています。
観光客も問題なく入ることができますが、中ではお祈り中の方もいらっしゃったので静かに一枚だけ撮影し静かに立ち去ることに。
ちなみに今回宿泊したホテルは写真右のHotel Stari Grad(記事下で紹介)。快適で観光に大変便利ないいホテルでした。
紛争中に大きなダメージを受けたヤイツェ。2006年に国際社会からの援助で大部分の復興が完了したものの、当時のままの古い建物も多く、新旧さまざまな建物が混在しています。
特に一般住宅部分はやはり劣化が激しく、ここら辺からヤイツェの財政難というのを感じ取れます。
紛争後、社会が安定し観光需要が増えてきているので、将来的に改善されていくことを祈るばかり。
4. ユーゴスラビアが生まれた場所
ヤイツェはもともと中世ボスニア王国の首都が置かれた街。そこからも地理的、戦術的に重要な土地であったことが伺えます。
第2次世界大戦中、ナチスドイツを含めた枢軸国の影響がバルカン地域で増す中、将来のユーゴスラビア誕生へとつながる大きな出来事がこのヤイツェで起こります。
それが1943年に行われたヨユーゴスラビア人民解放反ファシスト会議(AVNOJ)の第2回会合。このAVNOJは後のユーゴスラビア大統領であるヨシップ・チトーが率いるパルチザン組織です。
この会合で、南スラブ人民族(セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人)が結束し、平等な立場を維持しながら6つの共和国を束ねたユーゴスラビアとして連邦国家を設立すること、そしてその元首にヨシップ・チトーがなることが議決されました。
そんな歴史が動いた場所が現在は博物館になっており、ユーゴスラビア連邦誕生の瞬間を回帰することができます。
5. ヤイツェ要塞からの景色
ヤイツェの街を訪れる上でもう一つ欠かすことのできないのがヤイツェ要塞。14世紀からこの街が発展する上で非常に重要な役割を果たしました。
ヤイツェの街は要塞を中心に城壁で囲われるように造られ、現在もその多くが残されています。
街の周辺にはいたるところにゲートや監視塔が。
ヤイツェの街は360度、城壁や天然の崖、川で囲まれており、そう簡単には攻略できない要塞都市として見事にデザインされています。
ヤイツェ中心部からひたすら坂を登ること20分。山の頂上にそびえ立つ要塞は現在荒城となっていますが、そこからはヤイツェの街並みを見下ろすことができます。
オレンジ色の屋根をした家屋が広がり、カトリック教会やモスクのミナレットが見られたりととても綺麗。
大自然の緑とも相まって色のコントラストはまさに絶景です。
6. 最後に
いかがでしたか?
今回はボスニア・ヘルツェゴビナ中部にあるヤイツェの街の様子を紹介しました。
プリヴァの滝やヤイツェ要塞など小さい街でありながら歴史と自然、文化すべての面で楽しむことができるヤイツェ。
現在は中東イスラム教国家をはじめとして多くの観光客が足を運んでおり、これから先よりポピュラーになって行くこと間違いありません。
詳しい観光名所の情報についてはこちらの記事で紹介しています。
自力でアクセスするのが心配な方は、サラエヴォから日帰りツアーを催行している会社もあるので、サラエヴォ滞在中に現地観光案内所で情報を探してみてください。
プリヴァの滝、一生忘れられない景色になりますよ!
公共交通機関はバスのみで本数も限られているということから、ヤイツェ観光を個人で検討している場合には1泊するのがおすすめ。
ヤイツェ自体は小さな街でホテルも数えるほどしかありませんが、その中で一押しなのがHotel Stari Grad。
客室は綺麗で広々、英語が話せるスタッフもいるため初めての滞在でも安心です。
ヤイツェ旧市街の中心部にありヤイツェ要塞やプリヴァの滝まで目と鼻の先。バスターミナルも近く観光に最適です。
また、無料の朝食ではブッフェメニューとは別にボスニアの朝食で定番のオムレツを作ってくれ、天気がいい日にはホテルに併設したレストランのテラス席で気持ちよく朝の時間を過ごすことができます。
概要・宿泊者レビュー: Hotel Stari Grad
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