2013年の欧州文化首都にも指定されたコシツェはスロバキア東部に位置する国内第2位の都市。
もともとはハンガリー帝国の一部として発展した街で、現在のハンガリーとも20kmしか離れていないことから、首都ブラチスラバとは随分と違う雰囲気を楽しめる街になっています。
そんなコシツェの街を散策してきたので、風景写真をふんだんに使いながら街並みの様子を紹介します。
1. 旅の始まり
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今回はスロバキア首都であるブラチスラバから鉄道を使ってコシツェ入り。ブラチスラバからは利用する列車種別によっても異なりますが4−6時間程度かかります。
スロバキアのシンボルでもあるタトラ山を眺めながら車窓を楽しむこと数時間、コシツェ の駅へと到着。ここからコシツェ観光は始まります。
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コシツェの駅はガラスがふんだんに使われたモダンなデザイン。そこから1分歩くだけでコシツェ の中心部へとつながる通りへと到着です。
2. ハンガリーの影響を強く受けた街
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コシツェ はもともとハンガリー帝国の一部として繁栄した街。ハンガリーが第1次世界大戦に敗戦した後1920年に結ばれたトリアノン条約によりチェコ・スロバキア領となりました。
しかしその直後第2次世界大戦初期の1938年に再度ハンガリーに編入。終戦時にはコシツェ はソ連の占領下となっていましたが1945年にチェコ・スロバキア亡命政府がチェコスロバキア共産党とともにコシツェ に臨時政府を設立。
その後はしばらくチェコ・スロバキア領として繁栄し、1993年の連邦解消に伴い現在のスロバキア共和国領となりました。
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中心部に行けばすぐに首都ブラチスラバとの違いを感じるはず。
建物の雰囲気や街並み、全てを取ってもブラチスラバというよりはブタペストに近い雰囲気があります。
現在の住人は90%近くがスロバキア人でハンガリー人の割合は多くありませんが、歴史的にも文化的にもハンガリーの影響は大きく、今もその名残が強くあります。
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コシツェ に実際に足を運んだ際は見事な快晴。時期的にはまだ春ですが、雰囲気はすでに真夏の様相を呈していました。
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中にはこんな格好のセクシー女子も。ほとんど裸同然、日本ではまずあり得ませんが暖かい時期のヨーロッパでは結構よく見かける光景だったりします。
3. キリスト教が根付く街
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コシツェ のシンボルといえば聖アルジュベタ大聖堂。ハンガリー帝国時代の1380年頃に建設が開始され、完成したのは1508年。
この聖アルジュベタはコシツェの街の守護聖人とされており、数百年にわたってコシツェの人々を精神的に支えてきた存在です。
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ゴシック様式で建てられた教会で、現在スロバキア国内にある教会としては最大。北側に建つ塔の高さは58.5mもあり、有料ではありますが上の展望台まで登ることができます。
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塔の頂上までは人ひとりがかろうじて通れるくらいの狭い螺旋階段を登るため、暑い日は特に大変。
ですがそこから見渡せるコシツェの景色を見れば疲れも吹き飛ぶこと間違いなし。
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360度見渡すことができ、コシツェ 旧市街はもちろん郊外にたつ社会主義的な建築物や周囲を取り囲む山々の絶景を楽しむことができます。
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見る方向によって景色が全く異なるため、いつの間にか長い時間が経ってしまっていたりします。
4. 昼下がりの風景
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コシツェ旧市街中心部には従来使われていたトラムの線路が今も残されています。現在のコシツェ トラムは旧市街内部への乗り入れはなく、コシツェ中央駅から旧市街周囲や郊外を結ぶ市民の足となっています。
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聖アルジュベタ大聖堂の目の前にはコシツェ劇場と公園があります。
公園に設置された噴水は「歌う噴水」とも呼ばれ、音楽とともに噴水の出方が変わる仕掛けつき。
天気がいい日にはコシツェ市民や観光客が老若男女公園に集いのんびりしている姿をよく見かけます。
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コシツェ旧市街のメインストリート。ハンガリー帝国時代に作られた歴史的建物も多く残された貴重な街並み。
緑や赤、黄色など様々な色の建物が一列に建ち並んでいるのが特徴です。
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敬虔なカトリック教徒も多い街ということもあり、街の中にはたくさんの教会があります。そんな教会の尖塔も欠かすことのできない街のアクセントです。
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一歩路地に入ればこの通り。
メインストリートで見られるような大きく立派な建物はあまり見られませんが、カラフルで可愛らしい建物が軒を重ね、その多くが昼から夜間にかけてレストランやバーとして営業をしています。
5. 共産主義時代の名残
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一方で、コシツェ は第2次世界大戦後はソ連による占領下にあり、またその後誕生したチェコスロバキア社会主義共和国は共産党主導する国家運営が長期にわたって行われた街。
そのため、一歩旧市街を離れると無機質でなんともいえない寂しさを感じる共産主義的な建物を多く見ることができます。
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またコシツェ はソ連占領下にあったことから、戦時中に犠牲となった赤軍兵を祀る記念碑も。首都ブラチスラバではまず見ることがないソ連共産党のシンボル「槌と鎌」を複数箇所で目にすることができます。
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そんな共産団地の周辺や商業地として栄えている新市街エリアには最新式のトラムも運行中。
街並みのコントラストがはっきりとしていて街並みがとても楽しい街です。
6. 最後に
いかがでしたか?
スロバキアの第2位の都市コシツェの街並みを紹介しました。
ハンガリー帝国時代の歴史のある建物、社会主義時代のコンクリート畑、そして真新しい近代的な建物やトラムといった全く異なる時代のものが共存する街。
街並みの変化に富むため、散策をしていても景色に飽きることはありません。
またコシツェ 旧市街の地下部分には12世紀〜13世紀頃に作られた地下要塞・ゲートも残っており、数百年に渡る様々な時代のものを短期間で楽しむことができる街。
是非中欧エリアを訪れる際にはコシツェ観光も検討してみてください。
コシツェ の観光名所については別記事で詳しくまとめているのであわせて参考にしてください。
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