第2次世界大戦中、「命のビザ」と呼ばれている通過ビザを発行し、多くのユダヤ人をナチスドイツによるホロコーストから救った杉原千畝。
大戦中にはリトアニアの臨時政府と首都が置かれ、現在ではリトアニア第2の都市になっているカウナスでは、その杉原千畝の功績のおかげで今も日本とリトアニアの絆を感じる事ができる場所でもあります。
今回は、杉原千畝の足跡を感じることができる場所を10箇所紹介します。
1. 杉原記念館
カウナスを訪れた日本人の99%が訪れるであろう杉原千畝記念館。
もちろん日本人だけではなく、ポーランドやアメリカ、イスラエルなどからユダヤ人を中心に、多くの観光客や各国要人が訪れており、またリトアニアの中高生ら授業の一環として社会科見学の場としても利用されています。
杉原千畝の功績だけにとどまらず、当時のユダヤ人の状況や大戦中の歴史、杉原一家の私生活にいたるまで狭い敷地ながら多くの展示がされており、大阪大学に留学していた日本語もペラペラに話すリトアニア人の青年が来館者一人一人に解説をしてくれます。
杉原記念館を詳しく知りたい方は実際に訪れて書いたこちらの記事をご覧になってください。
住所: Vaižganto g. 30
Facebookページ: Sugihara House
2. 杉原講堂
Vytautas Magnus Universityの国際政治学部 Political Science and Diplomacy 内に、杉原千畝の功績をたたえて2008年に「杉原講堂 Sugihara Auditrium」と名付けられた講堂(302号室)があります。
観光客はなかなか入ることのできる場所ではありませんが、大学の講義のほか日本国大使館が後援する日本に関する講演会等が行われています。
住所: Gedimino g. 44
3. カウナスピクチャーギャラリー
前衛芸術運動を主導したフルクサス FLUXUSの創始者、ユルギス・ジョージ・マチューナスはカウナスで生まれ育ちました。
そんなFLUXUSの作品展示室を見るだけでも見ごたえがありますが、そのほかにもリトアニア人の芸術はもちろん、虹のアーティトとして知られる靉嘔(本名 飯島 孝雄)の作品や、佐藤タカオ等日本人アーティストの芸術作品も多く展示されています。
住所: K. Donelaičio g. 16
4. ホテル・メトロポリス
杉原千畝がカウナスに赴任した当時、ソ連の占領下にあったリトアニア。ソ連からの領事館閉鎖命令により在カウナス日本領事館を退去してから出国までの間、杉原一家が一時滞在していたホテルがホテル・メトロポリスです。
ホテルは当時のまま残されており、もちろん現在も宿泊施設として営業中。外壁には杉原千畝の功績を讃えて記念碑が取り付けられています。
ホテル・メトロポリスへの実際の宿泊記はこちらの記事をお読みになってください。
住所: S. Daukanto g. 21
5. ネムナス島
中心街からネマン川を渡ったところにあるネムナス島。島全体が公園のようになっており、内部には科学センターや多目的アリーナである ジャルギリスアリーナ Žalgirio arenaが建てられています。
現地の人の散歩やジョギングの定番ルートであり、特に春から秋にかけては憩いの場所として多くの人が集まります。
またここネムナス島の一角には、日本とリトアニアの友好のシンボルとして桜が植えられており、春の時期になると花見に訪れる人もいるんだとか。
6. カウナス中央駅
杉原千畝が出国時に利用したカウナス中央駅。駅舎自体は大戦中に破壊され、その後再建されたものですが、杉原千畝が1940年9月4日にリトアニアを発った際に利用した駅として現在では記念碑が設置されています。
杉原千畝が列車に乗り込み、発車した後でさえも多くのユダヤ人らがビザを求めて集まったとのこと。杉原もこれ以上書けないという最後の最後まで車窓から手渡された書類に手書きでビザを発行していたそうです。
住所: M. K. Čiurlionio g. 16
7. ロムヴァ映画館
ソ連による占領直後に建てられたリトアニアの中でも最も古い映画館の1つ。長い間放置されていましたが、地元グループにより内部はリノベーションされ、外見は建設当時そのままに現在ではカウナスで最大、最も先進的な映画館として生まれ変わりました。
2015年10月にチェリン・グラック監督により制作された映画「Persona Non Grata / 杉原千畝」のワールドプレミアがこの映画館で行われています。
この映画はDVDにもなっていますが、カウナスを訪れる前に是非1度見ておくと、町歩きの印象も変わるかもしれません。
住所: Laisvės al. 54
8. 第9要塞
19世紀に帝政ロシアが建設した要塞のうち現存する最後のものが第9要塞。
第2次世界大戦時には、リトアニアを占領したナチスドイツが各地から集めた5万人に及ぶユダヤ人の収容所として使用し、その多くがのちに殺害されました。
命のビザを受け取り第3国へ脱出できたユダヤ人とナチスドイツの手に落ちたユダヤ人。歴史の儚さを感じる場所となっています。
第9要塞には資料館が併設されており、その中には杉原千畝に関する展示も含まれています。
住所: Ženaičių pl. 73
9. 日本文化サークル「橋」
1998年から現在にいたるまで約20年間にわたり、日本とリトアニアを結ぶ活動を開始した日本文化サークル 橋。現在はヴィタウタスマグヌス大学 Vytautas Magnus Universityの公認サークルとして、毎週金曜日に活動しています。
生け花や茶道、着物の着付け、歌舞伎など幅広い活動をしており、学生だけではなく日本文化に興味のある人は誰でも参加する事ができるようになっています。
住所: S. Daukanto g. 27
10. ヨークスナメイ
シャンチャイ地区にあるリネン製品の専門店。1993年にKimonoという名前で創業し、現在にいたるまで家族経営でリネンショップを運営。現在では、スカンジナビア諸国や西欧、アメリカ、さらには日本にも製品を輸出しています。
杉原千畝が命のビザ発給時に使用した駐リトアニア大日本帝国領事館スタンプがデザインされているリネン製品など、日本人向けに作られている手作りオリジナル製品も販売しています。
またリネンショップというだけでなく、開店当時から日本とリトアニアとの交流事業を通して友好の橋渡しもしています。
住所: A. Juozapavičiaus pr. 21
最後に
いかがでしたか?
リトアニア第2の都市カウナスを訪れる際には是非杉原千畝の足跡を辿る旅をしてみてはいかがでしょうか。
杉原千畝は外務省に反して行動した、と語られてはいましたが、実際には日本外務省も暗黙の了解だったようで、事実多くのユダヤ人が日本に入国いた後第3の永住の地へたどり着きました。
そんな命のビザを発給してから80年がたった今も、日本から8000km以上離れたリトアニアで語り継がれている日本人外交官の功績。
現地リトアニア人にとっても、杉原千畝とその功績は学校の授業で習うこともあり最も有名な日本人だと言われています。
日本人としても先人の勇気と偉業をしっかりと目に焼き付け、後世へと伝えていきたい事実だと思いました。
その他カウナスの観光名所についてはこちらの記事でも紹介しています。
- Expedia:ホテル:メトロポリス
- Hotels.com:ホテル・メトロポリス
カウナスで宿泊するなら絶対におすすめしたいのがホテル・メトロポリス。あの杉原千畝が出国直前まで滞在し命のビザを書き続けたという歴史を動かしたホテルです。
客室は非常に清潔に保たれていますが所々歴史を感じる内装があったりと、日本人としてとても感慨深くなるホテル。宿泊料金も非常にお手頃なので是非滞在してみてください。
実際の宿泊記も紹介しているのでこちらもご覧下さい。
海外旅行をする人が必ず持つべきクレジットカードの決定版は?
国際ブランド、付帯保険、旅行中の特典、カードを選ぶポイントは様々。
海外40ヵ国以上を訪れた旅のプロがヨーロッパ向けクレカの選び方とおすすめを伝授している人気記事をチェック!