リトアニアの都市シャウレイ郊外にひっそりと佇む十字架の丘。世界無形文化遺産にも登録されているリトアニアを象徴する場所でもあります。
リトアニア国民がソ連の圧力に抵抗し、分たちのアイデンティティを守るために築きあげてきたという、リトアニア人にとっては非常に強い意味を持つ地。
今回は、そんな十字架の丘に一人で行ってきた際のことをレポートします。
1. 十字架の丘をめぐる歴史
リトアニア人にとって十字架の丘は彼らのアイデンティティにとって非常に重要な意義があります。
ヴィリニュスに宿泊した際に、ゲストハウスのオーナーにこの十字架の丘を訪れたことを話すと、非常に喜びながらもその歴史的な背景をとても詳しく、そして熱く語ってくれました。
最近では観光客も増えたが、やはりその裏側で起こった歴史を知ってほしいとのこと。
ですので、まずは簡単に歴史の話をします。
十字架の丘の起源は17〜18世紀。当時ロシア帝国の支配下に入っていたリトアニア人が、独立するために起こした蜂起の犠牲者を祀るために遺族が十字架を立てたのが始まりとされています。
その後、第1時世界大戦が始まるとドイツの支配下に。1918年にドイツ帝国が崩壊し、リトアニア共和国として再度独立を回復しますが、第2時世界大戦中の1940年、今度はソ連の侵攻を占領されます。
ちなみに杉原千畝が命のビザを書き続けたというのはこの頃です。
さらに1941年にナチスドイツ軍の侵攻とホロコーストを受けドイツに占領されたのち、1944年再度ソ連による侵攻を受け、リトアニア・ソビエト社会主義共和国という形でソ連の統治下に入ることとなります。
犠牲者への慰霊のために丘へ十字架を立てる、ということももちろん行われました。
しかし、この十字架の丘の規模が一気に増える原因となったのが1990年まで続いたソ連による統治。ソ連体制による全体主義への抵抗を非暴力的に示すために、十字架の丘へ十字架を立てるということを続けました。
この頃は、ソ連によってブルドーザーにて4度十字架の丘が破壊されましたが、十字架を立てるリトアニア人の数は増えるばかり、1990年に再度独立を果たす際には6万本弱の十字架が建てられていたということです。
その後はリトアニアはキリスト教国ということで、キリストへの信仰の意味を込めて、また未来への願いや希望を込めて、そして亡くなった人を慰霊するためなど様々な思いを込めて十字架が備えられ現在では20万本以上の十字架が建てられています。
1993年にローマ法皇が十字架を訪れ、その際は10万人もの人がこの丘に訪れて祈ったんだとか。現在ではユネスコ世界無形文化遺産にも登録され、コアな旅行者を中心に訪れる人が増えてきました。
2. 十字架の丘へ行ってみた
a. シャウレイからまずはバス
十字架の丘へ向かう旅行者の方向けに詳しいアクセス方法を紹介しています。今後十字架の丘へ訪れる方でアクセス方法を知りたい方はこちらの記事を参考にしてください。
十字架の丘へ行く際には、最寄りの街シャウレイから路線バスもしくはタクシーを利用する必要があります。ということで今回はバスを利用。
本数が少ないとか、路線バスのハードルが高いとか色々ありますが、なんていったって、片道0.8ユーロには代えられません。
運転手は英語まったくダメな模様。「ドマンタイ、テル ミー!」と超基本的な単語を使って、到着したら教えてくれと伝えておきました。
b. 孤独な一本道
最寄りのバス停は「ドマンタイ」。運転手についたと言われ降車すると、、、何にもない平野に国道が一本走るだけという辺鄙なところに取り残されました。
バスの運転手からの「あっちへ歩け!」
と言わんばかりの全身全霊のジェスチャーとバスターミナルでもらった超簡単な地図を参考に、バス停のすぐ側から分かれている脇道をすすみます。
とはいってもバス停すぐ横には十字架が1本置かれており、その道を行けばいいことを暗示しているので迷う心配はありません。
本当に無の世界。
ひたすら一本道を歩きます。その距離2km。朝9時頃だったのですが車も全然きません。
一回こういうことやってみたかったんで、やってみました。霧のおかげで?せいで?困難に立ち向かう冒険者みたいな感じに。車が全然こないので轢かれる心配は無用。
この一本道をひたすら歩きます。日本を離れ8000キロ、人間ってほんとちっぽけな存在なんだなーと思わずにはいられないような環境。
c. ビジターセンター
バス停から歩くこと20分。脇道沿いにやっと久しぶりに見る建築物、ビジターセンターがありました。
まだ朝早いこともあってか露店での十字架売りの準備をしている人が1人いただけ。結局ここを離れる11時前までこの人を除いて誰一人とすれ違うことはありませんでした。
リトアニアという国にあること、首都ヴィリニュスからも離れており個人旅行客が訪れにくいこと、団体バスも季節によっては全然こないこと、などからまだまだビジターの数は少ない秘境スポットなのかもしれません。
d. ついに十字架の丘へ
ビジターセンターを抜けて、十字架の丘へと伸びる一本道を歩きます。
お、なんか見えてきた?
だんだんと丘、というより山が見えてきました。
ついに来たー!
横数十メートルにわたって十字架がずらーーーーーーっと並ぶ光景は圧巻。
天気が良くても気持ち良さそうだけど、この日は凄い濃い霧がかかってるせいかより幻想的な雰囲気が出ていました。
じゃーん!ここまで遠かった!
暗い歴史が元になっていることもあって、暗く寂しい冬の空気感がこの場所にはぴったり。
にしてもなんて人はちっぽけなんだろうか。
この時点で視界の中は100%十字架。大小無数の十字架が建てられています。
訪れた際には他の観光客も誰もいないということもあって、日本人一人と数万の十字架。なんとも言えない感情が湧いてきます。
十字架の丘の上へと続く遊歩道があるので、そこを使って丘の中へ入っていきます
e. 丘の中で埋もれる
どこを歩いても、遊歩道をの中でも外れても、十字架が無数に重なっています。
木のもの、樹脂のもの、石のものなど材質も様々。最近建てられたと思われる比較的新しいものから、相当年数のたっていることが伺えるものまで。
さらにはカトリックの十字架、プロテスタント教徒が置いたと思われる十字架、ユダヤ教徒によるものなど、同じキリスト教でも様々な宗派のものと思われる十字架がたくさん。
小さな十字架はビジターセンター前にあった露店で売られているので、観光客が置いていっているものも多そうです。
大小も様々で、ポケットサイズのものから本格的な石碑まで。いくつかの大きな十字架は、激動の時代に当時の神父が民衆とともに行列を作りながら背負って運ばれたものなんだとか。
言語も様々で、リトアニア語のものはもちろん、英語、ポーランド語、ヘブライ語をはじめ多くの言語が見られます。
特に弾圧の歴史を歩んできたユダヤ系の人々が多く住んでいる国の言葉が多かった印象。
十字架の中を歩いているとなにやら音が聞こえて来ました。
ぁdんれうふrfdkfれ(不気味)・・・・
誰もいないはずの十字架の丘なのに、どこからか不気味に声が聞こえてくる、、、と思いきやこの像の足元にスピーカーらしきものが。
リトアニア語でしたが聖句が朗読されているようです。
なぜかリトアニア・富士山と日本語で書かれた十字架(画面中央)や、日本でもよく見かける「世界人類が平和でありますように」の看板(画面左端)も。
その他紹介しても紹介しきれないくらい、とにかく無数の十字架が置かれています。
まだまだ。
全部は紹介できませんが、とにかくすごい数の十字架。
とにかくすごい、それしか言いようがありません。
リトアニアをめぐる歴史を少し理解した上でこの丘を訪れたこともあり、この規模の十字架をみているとだんだん感慨深くなってきます。
気づけばこの丘に3時間弱。結局誰一人と出会うことなく、霧の中十字架の中を徘徊しましたが全身全霊が何かに吸い込まれているような、そんな不思議な感覚になりました。
3. ツアーに参加するなら
リトアニアを代表する世界遺産である十字架の丘、首都ヴィリニュスから日帰りの現地ツアーが数多く催行されています。
自力でのアクセスが不安という方や時間に制約がある方はツアー参加がおすすめです。
4. 最後に
十字架の丘では、早朝に訪れたこともあり霧がかかる中誰一人としてすれ違うことなくゆっくりと身を置くことができ、とても感慨深い気持ちになりました。
リトアニアという国はつい最近まで数百年にわたる独立をめぐる戦いを行なってきた悲しい抵抗の歴史のある国です。
そんな中でもリトアニア人が自分たちのアイデンティティを守るために作り上げた十字架の丘、リトアニアを旅行される際には彼らに敬意を示すためにも訪れてみてください。
そして、せっかくリトアニアを訪れる際には過去に何が起こったのか、少し歴史的な側面も勉強していくとより実りある旅になること間違いありません。
特に、十字架の丘に訪れる前にヴィリニュスにあるKGBジェノサイド博物館を見学しておくと、歴史の側面などいろいろと理解した上で訪れることができるのでおすすめです。
その他シャウレイについての情報はこちらの記事で紹介していますのであわせて参考にしてください。
シャウレイ観光や十字架の丘への前泊のために一泊するという方にお薦めなホテルが「ホテル シャウレイ」。
街の中心部にある唯一の高層ホテルかつ最大のホテルで、バスターミナルや中央駅までも徒歩約10分と便利。
料金は一泊シングル€25〜(約3000円)。客室は古さはありながらも清潔に保たれており、水回りもリノーベーションされています。
市内観光はもちろん、十字架の丘への観光やリトアニア他都市への移動にも便利で、何と言ってもコストパフォーマンスがいいのでおすすめです。
実際の宿泊地: こちら
3年ほど前にバルト三国のツアーに参加し、その途中で十字架の丘を見学しました。
ツアーに行くまでは知らなかった話をたくさん聞きました。
リトアニアでジェノサイド(民族虐殺)が行われたこと、シベリアに抑留された人は日本の57万人よりもさらに多く、70万人をこえること、さらに抑留期間は50年にも及び、抑留から帰還しても社会主義に洗脳された故郷の人との共存が難しいという悲しい状況など、バルト三国のツアーから帰ってから読んだ「リトアニア―小国はいかに生き抜いたか (NHKブックス) 」で知りました。
外国に行くと現在に生きる日本人として知っておかなければならないことを沢山知ります。
世界遺産には、過去の輝かしい栄光や、芸術といった楽しい正の側面と、ポーランドのホロコースト、リトアニアの十字架の丘、ジェノサイド博物館など沢山の負の遺産があります。外国に旅行することはそれら正負両方が見れるという素晴らしい面を忘れないようにしたいと思います、
こんにちは、とても興味深く読ませて頂きました。
十字架の丘は、「世界遺産」と表題にありますが、正確には、「世界無形文化遺産」(日本では「和食」「歌舞伎」「和紙」などが指定されている) ですよね? 知らない人がそのまま解釈すると、誤解をされると思い、お聞きしてみました。
私もサンティアゴ巡礼何度か歩きました。十字架の丘に行った際には、la concha(巡礼のシンボルのホタテ貝)を見てみたいと思います。ありがとうございました!!
ご存知でしたら教えて下さいますか
先日訪問しましたが、一点お伺いします。ビジタセンターからトンネルの入口壁右側に説明文の上にスペインの巡礼道の道しるべのシェルのモチーフが(青色)がありました。その地からの巡礼道はあるのでしょうか?色々調べましたが分かりませんので、もしご存知ならと思いお聞きしました。私は2度巡礼経験していて、壁を見た瞬間繋がっている事に嬉しかったので。。。
升本さん、もうご存知かもしれませんが、リトアニアには、 カウナスからポーランド国境まで最終的に スペインのサンチャゴ デ コンポステラ へ繋がるセントジェームスの巡礼道があるそうです。2016年からなので新しいものです。小さな目印に気がついたことは素敵です。私も、9月にバルト三国へ行くので注意して探してみます。
https://visit.kaunas.lt/en/kaunastic/walking-the-saint-james-way-in-lithuania/
コメントありがとうございます。
巡礼道などについては全く未調査のため不明です。
お力になれず申し訳ありません。